『最初の黄昏』

白くて四角い部屋。

気付けばここにいて、気付けば連れ出され、

そして再び気付いたときにはここに戻ってきて、眠りに落ちる。

 

いつからここにいたかはわからない。

 

ただ、自分とは違う「鱗を持たない者」たちに

周期的に連れ出されては「訓練」を受け、

ある時は欲しくもない小さな食べ物を飲まされる。

味はしないし、飲んだ後に吐き気と眠気に襲われるから

出される度に顔を顰めざるを得ない。

 

最近は、「もじ」という、何か複雑な線が組み合わされた絵と、

その読み方を覚えるように言われている。

 

それ以外のことは、あまり覚えていない。

扉が空けば何かの叫び声や呻き声が聞こえてくるのはいつもの事で、

最初は恐ろしく気味が悪かったがもう慣れてしまった。

 

 

自分がこの部屋にいると自覚した時、金属の格子を隔てた対の部屋には、

一人の男が既にそこにいた。

彼もまた、自分と同じように鱗を持つ者だった。

 

この「鱗」はとても頑丈で、「訓練」の際に強度を試されるときでも、

鋭い刃物や鉤さえ撥ね付ける。

どうやら「鱗を持たない者」たちにとって、

自分たちの「鱗」の強度はとても重要なことらしかった。

 

最初は気にも止めなかったのだが、

その「鱗無し」のひとりに「もじ」を覚えさせられてからは、

彼の寝台に「Lacerta-Derma-I」と書いてあることが見て取れた。

まだそれが何を意味するのかはわからないが、彼の腕には、

同じ「もじ」列が書かれた金属のプレートが紐で括り付けられていた。

 

自分のベッドの上に「Lacerta-Derma-II」と書いてある。

そういえば自分の腕も同様ではないか。

 

 

彼は自分と同じような鱗の肌を持つ男、顔や頭部は似つきもしないがーーーー

何か違う生き物ではないか、と思う。

たとえ彼が自分と同じように二本の足で立ち、同じ言語を話すにしても。

 

自分には、彼と同じような左目と右腕、そして左足があるが、

彼には、自分と同じような鼻や口、頭髪はない。

 

 

彼は寡黙だったが、ある日とても傷付いた体で、

白衣の男たちに運ばれて帰って来た日に、初めて言葉を交わした。

 

彼もまた同じように、体に刃物を当てられ、

小さな欠片を飲まされているようだ。

薬という、体の内側に変化を起こすものらしい。

 

彼の鱗に覆われた皮膚は、彼の右肩から背中の部分にかけて消耗しており、

およそ健康的とは言えないほどに擦り減り、痛々しく血が滲んでいた。

 

ほとんど意識の朦朧としていた彼だったが、

それでもなんとか言葉を紡ごうとする。

 

 

彼は、自分達は作られた存在だ、と言った。

自分達は、お前も含めて、生きているが、

同じように生きているものに人工的に作られたのだ、と言った。

 

作る?作られた?

 

彼が何を言っているのか、全くわからない。

 

「俺たちは、この施設で作られた。他の部屋にいるときに、

ガラスの向こうにいる連中に。」

 

なぜそんなことを、なぜ今、彼が話すのかが不思議だった。

 

「喋らないほうがいいよ、」

 

それに対し、否、と絶え絶えな息遣いで彼は尚語るのだ。

 

「俺たちは間違った存在だ、本来なら存在してはいけないものだ…」

 

荒い息を吐きながら語ると彼は目を細め、

そのオレンジ色の瞳だけをこちら側に向けて、言った。

 

「俺たちは、戦争するための資材にされようとしている。

そうなってはいけない」

 

生命力こそ弱っているものの、彼の瞳の鋭い光は、

自分を射すくめるのにじゅうぶんだった。

しかし、彼の言っていることはあまりよくわからないが、

とりあえず安静にしてもらわなければ。

 

「…は、…っ…」

 

苦しそうな息を交えながら、弱々しい声でこう言った。

 

「帰りたい

 

 

ほどなく彼は眠り始める。

 

 

(帰りたい…………)

 

彼のその言葉が引っかかる。

何度反芻してもその意味はわからなかったが、

彼の傷がはやく癒えるよう願って、

自分と彼を隔てる鉄鋼の格子の外側から「おやすみ」、とつぶやいた。

 

 

明くる朝目が覚めると、隣人の姿がなかった。

自分が目覚めているとき、彼の姿がなかったことは今まで一度もなかったが…

 

今日はなんだか騒がしい。

白い部屋の壁の向こう側から、しきりに何かの叫び声が耳に飛び込んでくる。

 

おかしい。様子が違う。

普段は違う部屋に移動する際、眠るように意識が途切れ、

気付くと「鱗無し」に囲まれているのだが、今日はそれもない。

 

 

その日、彼は帰って来なかった。

明くる日、いつもドアの下の小さな扉から差し出される食事も出されなくなった。

 

 

昼になっても食事は運ばれて来ない。

別段美味いものではないが、ないと不安になる。

 

その不安が背中を押すように、ドアの方へと体を向ける。

開いたところを見たこともない、決して開かない扉だが、

何故か手をかけて動かしてみたくなった。

 

扉に手のひらをつけて、力を入れようとした瞬間だった。

 

 

ドォォォ

 

 

と大きな音がして、部屋がグラリと大きく揺さぶられた。

立っていることができないほど揺れは強い。

 

支えを求めて自分の寝台まで這うようにして戻った。

 

 

キィン、と強い高音が聞こえ、

次の瞬間、自分の目の前に大きな物体が「降ってきた」。

 

一瞬で、空間の半分が、潰れた。

 

そう、「潰れた」、

部屋の反対側にいたとしたら、自分は今頃、

もの言わぬ肉塊になっていたと思う。

 

「………!!!」

 

恐ろしさに声を失う。

 

何かが千切れた物体が、反対側の壁に突き刺さり、遠くで何かが燃えている。

突然降ってきたこれは何だ…!?

 

しかしそれよりも興味をひいたのは、破壊された部屋の向こう側に、

今まで見たことのない「外側」の景色が広がっていたことだった。

 

 

空気の流れが冷たく、寝台にかけてある祖末なシーツを素早く取って

そっと外を伺い見ると、顔まで黒い布で覆った人々が、

殺気を纏って駆け回っているのが見える。

ふいに後ろ側、隣の部屋よりももっと奥から、叫び声が聞こえた。

 

突如の破裂音と共にその叫び声は止み、

その代わりに今度はもっと近いところで、

一層激しい叫び声や鳴き声が騒ぎ出した。

 

 

どうしよう

 

どうすればいいんだろう

 

 

怖い、と思った。

 

 

汗が吹き出し、胸のあたりを激しく波打つ音が耳の中で聞こえる。

後ろからは大勢の足音も聞こえる。

 

 

『帰りたい

 

 

彼の言葉が頭をよぎった。

 

「帰りたい、」

 

 

今度は自らの声で呟く。

 

 

「帰りたい」

 

 

でも、どこへ。

 

 

「ここから、帰りたい」

 

 

足音と喧騒はすぐそこまでーーーー

 

 

大きく削れた部屋から、今なら、出ることができる。

半分割れた壁をよじ登り、踏み出した。

 

 

外へ。

 

 

思い切って飛び降りた先の地面は、あたたかかった。

 

身を隠す。

脱兎のごとく駆け出す。

遠くへ。身を隠す。早く。

 

 

何かからの指令が下ったかのような錯覚により、

全速力で別の場所へ「帰ら」なければと、全身の細胞が叫んでいた。

 

 

走る。走る。

体勢を低くして。一刻もはやく、前へ。

走る事が、気持ちよかった。

 

「訓練」で「鱗無し」に無理矢理走らされるのとは全く違った感覚がする。

 

ずいぶん走ったような気がする。茂みに身を潜め、

安心してため息をつき、吸い込んだ空気の味が違った。

あの白い部屋の乾燥した空気ではなく、もっと湿っていて、

まるで大地を噛み締め味わっているかのようだった。

 

肺いっぱいに息を吸い込み、もう1歩、茂みの外へ足を踏み出す。

頬を撫ぜる空気の流れに気がつき、ふと見上げた景色は、

一面の、夕暮れの色彩をぶちまけたスクリーンのような、

何よりも大きな空だった。

 

 

 

初めて、見た。

 

こんなに心惹かれるほどの、こんな………

 

 

 

ああ、草の匂いがする。

 

虫の声がする。

 

わかる。これが何か、わかる。

今まで、施設の外に出たことはなかったけれど、これが何かを、

知らないけれど、わかっている。

 

 

「帰りたい」

 

 

どこへ。

 

彼が帰りたかったのは。

 

わかる。

 

 

彼は「自分達はここで作られた」と言った。

 

でも、違う。

 

確かに、自分たちはここで生まれたのかもしれない。

 

でも、肉体よりもっと根源的な、「自分」というものは、

もっと違うところから来たのだと

 

いま、ここで、わかった。

 

 

ああ

 

 

 

 

頭上にきらめく、あの光はなんだろう。

とんでもなく美しい、あれは………

 

わかる。でも、知らない………だが、わかる。

 

知りたい。

自分は何を知らないのかを。そして、この感情が、何なのかを。

 

 

足の裏から伝わる、あたたかさはなんだろう。

 

遥か遠くに沈んでゆく、あの大きな、力に満ち溢れたあの光は、なんだろう

 

 

 

「果てまで行きたい」

 

 

まぶしく空を彩る光を見つめ、そう呟いた。

 

 

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2014.5.3

敵国の戦闘機が政府の施設である「生体兵器開発基地」を攻撃。

職員16名と、研究対象の生物12体のうち11体が死亡、1体が行方不明。

 

ナショナルジャーナルによるレポート。

 

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文・イラスト:アマギセーラ